紅葉の北陸~能登・加賀2泊3日
2015/11/16|スタッフブログ
ちょうど一週間前、あいにくの悪天候の中、羽田空港から能登空港へ向けて飛び立った飛行機。北陸新幹線開通に沸くこの時期、なんで飛行機なの?と思うも、まあ飛行機なら一時間もかからずに目的地についてしまうから、有効な時間の使い方もできるし・・・などと、雲の中を飛びながら考えたりした。
着陸態勢に入ってから間もなく、悪天候により着陸を試みたが羽田空港へ引き返
すことになったとのアナウンス・・・はて?旅はこのまま中止か?能登空港じゃ
なく近くの小松空港への着陸は無理なのか・・・・東京へ戻って新幹線で出直し
か・・・・旅費はどうなるのだろう・・・・いろいろな思いが交錯。同乗客の中
には添乗員に当たり散らす人まで・・・機内は重たい空気のまま結局、羽田空港
に舞い戻り到着ゲートから一旦外へ。再度長ーいロビーを歩き出発ゲートから荷
物検査を二度も受け、幸い空席のあった小松空港行きに乗り換えてやっとの思い
で北陸へ向けて仕切り直し。一人や二人の旅ではなく、90歳の足の悪いお年寄り
から女性も含めて11人の大人数の移動は困難を伴う。幹事はたいへん!
そんなこんなで旅は、小松空港からのはじまりとなった。予定されていた能登金
剛での昼食はキャンセルとなり、小松空港で急きょ調達したます寿司弁当を現地で
用意されたチャーターバスのなかで頂くこととなった。お世話になる添乗員さんと運転手さんはベテランで細やかな気配りをして頂きこれから2泊3日の旅がさらに印象的な旅に。
伊勢の夫婦岩と並んで有名な能登二見といわれる「機具岩(はたごいわ)」や、松
本清張の小説「ゼロの焦点」の舞台となったの巌門などは国定公園にもなってい
る奇岩のつづく景勝地として有名なところ。雨でほとんど車中からの見学。能登の夕暮れは早い・・・?
いつの間にやら夕暮れが迫り「キリコ会館」の見学が終わったころにはあたりは
真っ暗。キリコのお祭りに使われる巨大な灯籠のほの明かりが夕暮れの空に残像
として映り込んだ気がする。青森のねぶたは人の形や竜(だったかなぁ・・・)な
どを灯籠に仕立てているが、キリコはすべて長方形の灯籠に文字や絵が描かれている
のが特徴的。なんでも、お盆よりも大事なものということで、お盆に帰省しなく
てもキリコ祭りに合わせての帰省があたりまえとなっているそうです。
このあと立ち寄る予定だった白米千枚田(世界農業遺産)は日没のため残念ながら
見学を断念。最初の宿泊地、和倉温泉に荷を下ろしました。
石川県七尾市に位置する和倉温泉の泉質は、ナトリウム・カルシウム塩化物泉、
弱アルカリ性で、塩分が非常に強くとても温まりました。
夕食はやはり北陸の温泉地らしく、和食プラスカニですね!
翌朝、七尾湾を眺めながら先輩にごちそうしていただいたコーヒーは最高でした。
この旅館の庭園はよく作ってあると社長がはなしていました。やはり造園会社の
旅はまず、そこですよね。みどころ!
二日目は金沢市内へ。武家屋敷の街並みの中を歩いたり、その庭園を見学した。
おりしも雪つりの始まった兼六園内を散策。象徴の二本足の徽軫灯籠(ことじと
うろう)も鎮座していました。古木のもみじもいい風情。また、なにより松の木
が多かった印象です。松の木は手入れがむずかしいというかたいへんと聞いてい
るので、こんなにたくさんの木を手入れする職人さんがたくさんいるのだと思う
と、やはりさすが加賀藩の息のかかった(?)日本三名園のひとつなんだなぁと感
心するばかりでした。
二日目は、北陸三県で最大級の温泉街(山代・山中・片山津)のひとつと称される
山代温泉にお世話に。最初の和倉温泉の仲居さんもこちらの仲居さんも最高に楽
しいベテランさんでした。この山代にはかつて北大路魯山人の寓居跡などもあり、
ほんとうは昼間歩いてみたい街でしたが、残念ながらお食事と温泉を堪能するに
とどまりました。ここは弱アルカリ性の硫酸塩泉で、二日でぜいたくな温泉バイ
キングとなりました。
翌日最終日は、曹洞宗大本山永平寺の厳しい見学修行?(のつもりで拝観しないと
いけないということでしたが・・・)学生の頃、学校の行事で鶴見の総持寺で参
禅修行をした経験があるけれど、またお泊り修行してみたい気がしました。身が
引き締まって一度はいいものです。
そして最後の見学地、東尋坊。やはりお坊さんに由来する地名だと知った。悪事
の限りを尽くした僧侶、東尋坊を持て余した仲間の僧侶たちが東尋坊を酔わせて
海へ・・・・って、殺人事件では・・・というエピソード残るいわゆる自殺の名
所としても知られているけれど、地元の人にとってはそれはあまりうれしくない
飾り言葉かも。
お昼には越前そばも頂いて、お土産も買って、ハプニングのあった小松空港から
羽田空港へ。いろいろあった二泊三日の旅はこれでおしまいです。
いつかこんどは、北陸新幹線に乗って再び訪れたいと思う北陸でした。
by Muraki